大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成11年(ワ)3194号 判決

原告

右訴訟代理人弁護士

中野公夫

藤本健子

被告

東栄信用金庫

右代表者代表理事

右訴訟代理人弁護士

石井成一

山田敏章

谷垣岳人

長崎真美

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録≪省略≫記載の建物について、東京法務局城北出張所受付の別紙登記目録≪省略≫二記載の条件付賃借権設定仮登記、同目録三記載の所有権移転請求権仮登記の各抹消登記手続をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物について、東京法務局城北出張所受付の別紙登記目録一記載の根抵当権設定登記、同目録二記載の条件付賃借権設定仮登記、同目録三記載の所有権移転請求権仮登記の各抹消登記手続をせよ。

第二事案の概要

本件は、原告が被告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下「本件各建物」という。)の所有権に基づく妨害排除請求として、右各建物になされている東京法務局城北出張所受付の別紙登記目録一ないし三記載の根抵当権設定登記(以下「本件根抵当権設定登記」という。)、条件付賃借権設定仮登記(以下「本件賃借権設定仮登記」という。)、所有権移転請求権仮登記(以下「本件所有権移転仮登記」といい、右各登記を一括して「本件各登記」という。)の抹消登記手続を求めた事案である。

一  争いのない事実等(末尾に証拠等が掲記された事実は、同証拠等により認められる事実である。)

1  本件各建物は、昭和四七年九月当時、原告の父であるB(以下「B」という。)が所有していた。

2  被告は、昭和四七年九月八日、Bとの間に、本件各建物について、債権者を被告、債務者をBとし、極度額を二〇〇〇万円、債権の範囲を信用金庫取引・手形債権・小切手債権とする根抵当権(以下「本件根抵当権」という。)を設定する旨の契約、Bの被告に対する債務の弁済に代えて本件各建物の所有権を移転する旨の代物弁済予約契約、別紙登記目録二記載の内容の条件付賃借権を設定する旨の契約を締結し、これに基づいて本件各登記手続をした。

3  Bは、昭和五三年二月二四日に死亡し、原告がBの被告に対する債務を相続により承継するとともに、本件各建物を相続により取得した。

4  被告は、本件根抵当権の債務者であるBが死亡して相続が開始したにもかかわらず、右相続開始後六か月以内に、民法三九八条の九第二項所定の合意をなし、その旨の登記をしなかった(これにより、本件根抵当権の被担保債権額は、右相続開始時に確定したこととなる。)。

5  被告は、原告との間に、本件根抵当権について、昭和五四年四月三日にその債務者をBから原告と変更する旨の契約(以下「本件債務者変更契約」という。)を、昭和五九年四月一八日に極度額を三〇〇〇万円に、同年一一月一三日に極度額を三五〇〇万円に、昭和六二年四月四日に極度額を四八〇〇万円とする各変更契約を締結し、これに基づいてその旨の登記手続をした(≪証拠省略≫)。

6  原告は、本件債務者変更契約を締結した上で、昭和五四年四月二〇日、被告から二二六六万円の貸付を受け、これによってBが被告に対して負担していた債務を完済した(≪証拠省略≫、弁論の全趣旨)。

7  被告は、平成七年八月、東京地方裁判所に対し、本件根抵当権に基づく競売申立てをなし、同裁判所は、平成七年九月二二日に本件各建物について競売開始決定をしたが、被告が右競売申立てにおいて請求する債権は昭和六一年三月二〇日に発生したものである。

二  争点

1  原告と被告との間に本件根抵当権設定登記の流用について合意が成立したといえるかどうか。

(被告の主張)

原告と被告との間には、次のとおり、原告と被告との取引から生ずる被告の債権について本件根抵当権設定登記を流用する旨の合意が成立し、その登記は現在の権利状態に合致しているから、原告は本件根抵当権設定登記の無効を主張し得ない。

(一) Bが被告に負担していた債務は、相続により原告に承継され、昭和五四年四月二〇日にいわゆる借換えにより完済されたが、右借換えは、原告がその後も被告との取引を継続し、それによって生ずる被告の債権を本件各建物により担保することを前提として行われたものである。

(二) 被告は、右借換えに先立ち、本件債務者変更契約を締結したが、これは、実質的には、原告と被告との間において、債権者を被告、債務者を原告、極度額を二〇〇〇万円、債権の範囲を信用金庫取引・手形債権・小切手債権とする新たな根抵当権が設定されたものであり、ただ登記としては、原告と被告との合意により既に存在していた本件根抵当権設定登記を流用することとしたため、債務者変更の付記登記を行ったのである。

(三) また、本件根抵当権については、その後、三回にわたり極度額が増額変更されて右各変更についても登記手続が行われ、原告と被告との間の取引が継続していたことも、原告と被告との間に本件根抵当権設定登記を流用し、被告の原告に対する債権を本件根抵当権で担保する旨の合意が存在したことの証左である。

(原告の主張)

本件のような根抵当権について相続が開始し、民法三九八条の九第二項による合意について相続開始後六か月以内に登記しなかったため、元本が確定した後においては、確定後の追加設定契約による共同根抵当権設定登記申請は受理されない(法務省民事局第三課長回答)とされている。

したがって、仮に誤って右登記がなされた場合は、この登記は違法かつ無効な登記というべきであるから、登記簿上無効であることが明らかな本件の場合には、当事者の合意(本件においては、このような合意は存在しない。)があれば有効といった無効登記の流用の判例理論をそのまま援用することはできない。

2  原告の本訴請求は信義則に反して許されないものといえるかどうか。

(被告の主張)

次の事情からすると、原告の本訴請求は信義則に反し、許されないものである。

(一) 原告と被告は、本件根抵当権について債務者を変更した後、三回にわたり極度額の増額変更を行っており、右変更は根抵当権設定の合意及び無効登記の流用の追認行為と評価し得ること

(二) 被告は、本件根抵当権設定登記の有効性を信頼して原告に対し多額の融資をしてきたこと

(三) 原告は、長年にわたり被告から融資を受けた資金を自らの事業資金として利用して利益を得てきたこと

(四) 本件各建物について平成七年九月二二日に本件根抵当権に基づいて競売開始決定がなされた後も、原告は何ら異議の申立てをせず、本件根抵当権が確定したときから二〇年以上が経過してはじめて無効主張がなされたこと

(原告の主張)

本件において、原告は普通の一般人であり、法律上の知識は殆どないのに対し、被告の昭和五四年四月当時の担当者は、金融機関の貸付担当者として根抵当権の設定、変更、抹消等の各実務並びに登記手続について精通しているスペシャリストであり、根抵当権の債務者に相続が開始した場合、債務者の相続開始後六か月以内にいわゆる合意の登記をしなければ、当該根抵当権の元本は確定し、以後債務者変更等の登記はできないことは十分に承知していたものというべきであるし、当該債務者変更の登記手続を担当した司法書士もその登記申請手続が登記手続上不可能であることを指摘しないまま申請し、これを受けた管轄法務局の登記官もこれに気がつかないまま右登記を行ったのである。

したがって、右登記は、被告、司法書士、登記官の三者の重過失ともいえる過失によって実行されたものであり、かかる責任を見過ごしておいて、原告のみに責任を負わせ、信義則を論ずるのは正鵠を射たものとはいえない。

第三争点に対する判断

一  前記争いのない事実等のほか、≪証拠省略≫及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1  原告は、昭和五三年二月二四日にBが死亡したことから、同人が経営していた飲食店の経営を引き継ぐこととなり、同人の被告に対する債務を相続により承継するとともに、本件各建物を相続により取得したとして、昭和五四年四月ころ、被告に対し、Bの被告に対する右借受金債務借換え(弁済)のための融資の申込みをした(なお、原告は被告のBに対する貸付金の金利が年九・七五パーセントであったため、原告に対する貸付金利は年八・五パーセントとすることを希望していた。)。

2  被告は、右申込みについて審査した結果、本件各建物の価値は五〇〇〇万円程あり、これに担保価値が十分にあると判断して、本件各建物を引き続き極度額二〇〇〇万円の担保とすることを前提として、原告とも継続的な取引を行うこととし、原告に対し、年八・七五パーセントの金利で二二六六万円の融資を行うこととした。

3  そこで、被告は、原告との取引によって発生した債権の担保(根抵当権)については本件根抵当権設定登記を利用することとし、昭和五四年四月三日、原告との間に、本件根抵当権について債務者をBから原告に変更する旨の合意をし(本件債務者変更契約)、司法書士に依頼してその旨の登記手続をした上で、原告に対し二二六六万円の融資を実行した。

原告は、昭和五四年四月二〇日、右融資金によりBが被告に対して負担していた債務を完済した。

4  被告は、原告に対し、本件根抵当権が被告の原告に対する債権を有効に担保するものであることを前提にして、昭和五六年一一月一〇日に事業の運転資金として三五〇万円、店舗(パブ)の改装費として一六五〇万円を、昭和五七年一二月一〇日に店舗(焼肉店)の改装費として一〇〇〇万円を、昭和五八年六月二〇日に店舗(喫茶店)の改装費として三〇〇〇万円を、昭和五九年四月一八日に店舗(パブ)の改装費として一二〇〇万円を、同年一一月一三日に麻雀荘開店資金として一三〇〇万円をそれぞれ融資し、更に昭和六一年三月二〇日には右各融資金の一本化のための融資(借換え)として五〇五六万円を融資するとともに、昭和六二年四月四日にも住宅増改築資金として二〇〇〇万円を融資した。

5  また、被告は、本件根抵当権が被告の原告に対する債権を有効に担保するものであることを前提にして、原告との間に、本件根抵当権について、昭和五九年四月一八日に極度額を三〇〇〇万円に、同年一一月一三日に極度額を三五〇〇万円に、昭和六二年四月四日に極度額を四八〇〇万円にそれぞれ変更する旨の変更契約を締結し、これに基づいてその旨の登記手続をした。

6  その後、本件各建物には、昭和六二年八月六日に権利者を朝銀東京信用組合、債務者を大新商事株式会社とする根抵当権設定登記が、同年一一月四日には、権利者を朝銀東京信用組合、債務者を原告とする根抵当権設定登記がそれぞれなされた。

7  原告は、本件根抵当権が被告の原告に対する債権を有効に担保するものであることを前提にして、被告に対し右各融資の申込みをするとともに、本件根抵当権の極度額を変更する契約を締結し、平成四年一一月二五日には、被告に対し、被告からの証書貸付金の残元金三六二六万一七二五円については平成五年一一月三〇日をもって一括払いにて完済する、万が一、弁済できない場合には右借入金の担保として差し入れている本件各建物のうちいずれか一棟を売却し、その売却代金を弁済金に充当する旨の念書を差し入れた。

8  しかし、被告は、平成七年八月、本件各建物の任意売却手続が進展せず、売上金等からの返済見込み等もないとして、東京地方裁判所に対し、本件根抵当権に基づく本件各建物の競売申立てをした。これに対し、原告は、平成一一年二月一二日に本件各登記の抹消登記手続を求める本件訴えを提起した。

二  右各事実からすると、Bの相続人である原告が、Bの死亡による相続開始後六か月以上が経過した後に、本件根抵当権が被告の原告に対する債権を有効に担保するものであることを前提にして被告との間に本件債務者変更契約、本件根抵当権の極度額変更契約等を締結して被告から融資を受けた(しかも、右融資の一部でBの被告に対する債務を完済した)にもかかわらず、その後になって、本件根抵当権はBの死亡により担保すべき債権元本が確定するとともに右確定債権額は完済されたから無効である(実体的には不存在である)と主張して本件根抵当権設定登記の抹消登記手続を求めることは、信義則に反し許されないものというべきである。

なお、原告は、被告の昭和五四年四月当時の担当者は本件債務者変更契約に基づいて本件根抵当権の債務者変更等の登記が有効にできないことを十分に承知していたものというべきであり、本件債務者変更契約に基づく債務者変更登記等については、被告担当者のほか、司法書士及び管轄法務局の登記官にも重過失があるから、原告が本件根抵当権設定登記の抹消登記手続を求めることが信義則に反するものとはいえないなどと主張するが、被告担当者が本件債務者変更契約に基づく債務者変更等の登記が有効にできないものであることを知りながら同登記手続をしたものと認めるに足りる証拠はないし、仮に本件債務者変更契約に基づく債務者変更等の登記手続について被告担当者らに過失があるとしても、そのことのみでは、右判断を覆すには足りないというべきである。

また、被告は、原告と被告との間には本件根抵当権設定登記を流用する旨の合意が成立しており、その登記は現在の権利状態に合致しているから、原告は本件根抵当権設定登記の無効を主張し得ないとも主張するが、原告と被告が本件根抵当権設定登記が無効であることを知りながら、これを被告の原告に対する債権にかかる根抵当権の登記として流用する旨合意したものと認めるに足りる証拠はないから(被告が原告との間に本件債務者変更契約等を締結したことのみをもって、原告と被告との間に右登記流用の合意が成立したものと評価することはできない。)、被告の右主張は採用することができない。

三  しかし、原告が被告に対し本件根抵当権設定登記の抹消登記手続を求めることは信義則に反し許されないものというべきであるものの、本件賃借権設定仮登記及び本件所有権移転仮登記については、Bと被告との間の前記代物弁済予約契約及び条件付賃借権設定契約に基づいていずれも被告のBに対する債権(被告とBの信用金庫取引等によって発生した債権)を担保するためになされたものであるところ、被告のB自身に対する債権(被担保債権)は同人の死亡によってその相続開始の時に確定するとともに、その後原告が弁済したことにより消滅したこと、しかも、Bが死亡したため被告の同人に対する債権が発生する余地は全くなくなったことは前記のとおりであるから、右各仮登記はいずれも実体を欠くものというべきである(右各仮登記について、原告と被告との間にこれを流用する旨の合意が成立したものと認めるに足りる証拠はなく、右各仮登記の抹消登記手続を求めることが信義則に反し許されないものというべき事情も認められない。)。

第四結論

以上の次第であり、原告の本訴請求は、本件賃借権設定仮登記及び本件所有権移転仮登記の各抹消登記手続を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 村田渉)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例